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Make Love Not Porn〜大切な命と愛を育むこと、それはもはやポルノでもわがままでもない〜

by テルステキナニカ

まずはこの記事を読んでほしい!
(時間のない人はあとでもいいよ!)

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このステキな記事を読んで

この方の在り方がすごいステキだなって思った!
(TEDはあとで観る!)
そうなんだよな〜、本当の性はわがままでポルノ的なものじゃなくて、
相手にも素直で、自分にも素直で、思いやりと愛に溢れたもの。

自分も今までそういう出逢いや経験がなかったのもあったりして、
他の部分では素直にステキになれていた自分でも、
性に対してはどこかタブー視したりごまかしたり、
(そういう経験をしていないということもあって)
自分の言葉として話せないところがたくさんあった。

けれどパートナーとの出逢いや経験のおかげでそれが解放された今、
性に対して、パートナーシップに対して、
以前に比べてかなりオープンに、そして素直になれてきている。
いつもありがとう!愛してる!

性に向き合うことが、きっと僕らの幸せにつながっていく

性は僕らの日常における大切な部分。
それは三大欲求のほかのふたつ、寝ること、食べることと同じくらい。

子孫を残すという動物的な欲求と、
大切な人を大切にしたい、愛したい、深くつながりたいという人間的な欲求
性はある意味究極のコミュニケーションかもしれないと僕は思っている。
でも他のふたつはオープンに語られやすいのに性に対してはみんなどこか消極的。
話すけど、どこかお互いに固く閉ざしたなにかを隠し合いながら話す感じ。
けれどもその裏を返せば、性にしっかり向き合うことは、
僕らの日常をもっともっと幸せや歓びに導くのではないかとも思う。

セックスだけが愛することじゃない、パートナーシップじゃない

性やパートナーシップについて考えるとき、
多くの人はセックスを一番最初に連想する人が多い気がしている。
(セックスという言葉を自分の言葉として書くのはまだまだはずかしいのだけど、
それを書きたいのだから仕方がない!)

でも、僕の実体験を通して感じることは、
その行為そのものは単なる入れ物でしかないということ。

上に書いたことにも通ずるけど、
わがままでポルノ的なセックスもあれば、
思いやりと愛に溢れたセックスもある。
だからどちらも立派なセックスだと僕は思う。

でもでも、行為ではなくその奥の、その根本に潜む在り方を観て欲しい。
相手を自分自身を思いやっているか、愛しているか。
そこを観て、感じて欲しい、向き合って欲しい。

例えば大切な人と手をつなぐとき、僕はとっても幸せなんだ。
彼女が愛おしくなってその手を強く握ると、彼女もきゅっと握り返してくれる。
その言葉をはるかに超えたコミュニケーションに、彼女の命に、僕はさらに愛おしさを感じる。

僕にとって、パートナーとのセックスはその延長線上にある。
というか、根本的には何も変わらない。
というか、変わらなかった。

初めて手を繋いだときから、彼女に対してのアクションに勇気なんてものはほとんどいらなかった。
自分も彼女も、相手を、自分自身を思いやり、ただそのままを受け入れていたからだ。
それをお互いに言葉を超えたところでわかっていたからだ。


自分のBeingを知ることから始めよう

でもでも、誰かを愛そうとする前に大切なことがある。
それは自分を知ろうとすること。
自分を愛そうとすること。

僕自身、自分がよくわからないままうつになり、ひきこもりになり、
時間と自分を持て余していた僕はひたすら自分と対話をした。
自分でも気づかないうちに、自分を知ろうと、愛そうとしたんだ。
自分のBeingに向き合ったんだ。

being
【名】
1 存在(すること)、実在
2 存在[実在]するもの
3 〔人の〕本質、本性
4 〔個々の〕人、人間
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このBeingからブレてしまうと、僕は何もかもがブレてしまう。
嘘っぽくなってしまったり、苦しくなってしまったりする。

時にはモヤモヤしたりネガティブな自分にも出逢う。
でも、そこにこそ大切な愛すべき自分が存在している。
そこを無視したりごまかしたままにしていると、
人にもきつくあたってしまったり、
必要以上に距離を取ろうとしたりしてしまう。
そして大切な愛する人にさえも。

だからこそ、今の自分の気持ちをごまかさないこと。
ネガティブな自分にも素直でいてあげること。
愛してあげること。
そうやって自分を愛することをしていると、勝手に自分にも人にも思いやりが持てる。

そうやって自分の本質、Beingに向き合いながら、大切にしながら生きていた先で、
世界にその姿を見せてきた先で、僕は愛する人と出逢いました。
恋愛も、性も、自分には遠いところにあるとかつては思っていた自分に。


自分を愛することは、全てを愛することにつながっている

素直にいうと、ここまで書いておいて何が言いたいのかわからなくなってきた(笑)
でも、自分を愛していれば、それは自ずと全てを愛することにつながっているのだと思う。

幸か不幸か、僕らは自分ひとりでは決して生きてはいけない。
でもその当たり前が当たり前すぎて、多くの人は大切な自分自身を見失っている。
だからこそ、まずは一番近くにいる自分自身を愛することが大切なんだと、僕は感じているのだと思う。

最後に、僕の大好きなSUPER BEAVERの”美しい日”から言葉を借りて終わることにします。

今日までの 道のりがさ 正しく最短だったのかって
わからないけど なんとなく これで良かったと思っている
僕は 人に生かされて 人と生きている
ああ 幾つもの愛と生きている

もしかして幸せは 唯一つ 掴み取るようなものじゃなくて
幾つでも 何度でも 気がつくものなんじゃないかな
誰かにとって「たかがそれくらい」の ありふれた歓びでも
愛しいと思えたら 大切にすればいいんだよなあ

今にある幸せは 今生きる自分で 気がつくものだったんだ
優しさも 楽しさも 愛しさも 笑い声も
誰かにとって「たかがそれくらい」の ありふれた歓びでも
嬉しいと思えたら 特別じゃない今日はもうきっと
美しい 美しい日なんだよなあ
特別は そうだ 普遍的な形をした 幸せだ
SUPER BEAVER/美しい日



テルステキナニカ
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